『昔日』

 私の生家は美濃街道に面しており、戦争未亡人となった 祖母が布団屋をしていた。夏になると、祖母は道に椅子を 出し、アッパッパの胸元に団扇で風を送りながら、夕涼み をしていた。道行く人々が祖母に声をかけ、あるいは立ち 話をし、そうして、夏の夕は暮れていった。 [続きを読む]

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『昔日』

 私の生家は美濃街道に面しており、戦争未亡人となった 祖母が布団屋をしていた。夏になると、祖母は道に椅子を 出し、アッパッパの胸元に団扇で風を送りながら、夕涼み をしていた。道行く人々が祖母に声をかけ、あるいは立ち 話をし、そうして、夏の夕は暮れていった。 [続きを読む]

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『今日』

 『昔日』と題する前のコラムを書いたのは、多分、3週 間ほど前のことだと思う。光陰矢の如し、とでも言うのだ ろうか。昨日が一昨日だったのか、一週間前が昨日だった のか、記憶を探るのを諦めるほどに、頭の中が忙しい日々 だった。 続きを読む [続きを読む]

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西尾の御殿万歳 <上町>

 新春を祝う三河万歳は、西尾の城下のみでなく江戸の春を彩る風物詩の一つでした。三河万歳で総称されますが、西尾の万歳は玄関先でなく座敷の中で舞うことから御殿万歳と呼ばれました。万歳は、大紋に長袴、頭に風折烏帽子(現在は立烏帽子)を着けて扇状の中啓を手にした太 [続きを読む]

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西尾城址 <錦城町>

 六万石西尾城下のシンボルである西尾城は、市街地の南西端にあり、本丸表門付近に「西尾城祉」の標石が建てられています。現在では、本丸のわずかな部分に昔の面影がしのばれるのみで、うっそうとした木々に固まれた中に、西尾城主であった土井氏、三浦氏、松平氏の名前を [続きを読む]

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米津の川まつり <米津町>

 毎年八月十五日の夜、矢作川の米津橋下流で戦没者 と水難犠牲者の霊を慰めるために行われます。 続きを読む [続きを読む]

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『めーぐる』

 過日、めーぐるに乗った。めーぐるとは、名古屋市の観 光ルートバス。車体は金色。1日パス券、乗降は何度でも オーケィが500円。なかなかお値打ちである。平日でも 30分おきに出ている、なかなか使える奴である。 続きを読む [続きを読む]

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貝吹のかぎ万燈  <貝吹町>

 八月十四日の夜、市東部の万燈山に浮かぶ火線は、その形が先の曲がった道具である“鈎”状に見えることから「かぎ万燈」と呼ばれています。三百五十年前にはこの行事は既に行われており、その由来として、浅井千坊と須美千坊との戦いによって戦死した僧兵が山頂の古塚に祀 [続きを読む]

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『おみやげ町娘隊』

 相当に濃い名古屋人であるところの私は、「ナゴヤ」に 対する、謂れがなくもない中傷・揶揄に、かねてから憤り を覚えていた。だが、真っ向から否定することも、「ええ かっこしい」のナゴヤ人としては出来ない。「歩く速度が 遅い」と言われれば、「東京人が速すぎるんだ [続きを読む]

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御橿割 <室町>

 室町神明社の秋祭りは、稲の収穫期を迎え豊作と家内安全を祈願する農業祭です。その神事の後に行われる素朴な行事は、東海地方では例のない珍しいもので、「御橿割」または「御鉢割」と呼ばれています。江戸時代末期には行われていたとされ、古式のままに今日まで伝えられ [続きを読む]

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